大判例

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大阪高等裁判所 昭和47年(う)1575号 判決 1973年3月22日

本籍並びに住居

奈良県吉野郡吉野町大字河原屋七八番地

丸紅建設株式会社代表取締役

林宗和

大正一二年一〇月三日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和四七年一一月三〇日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 佐藤直 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂速雄、同曾我乙彦共同作成にかかる控訴趣意書に記載するとおりであるから、これを引用する。

論旨は、原判決の量刑は著しく苛酷に過ぎ、不当である、というのである。

よつて、本件記録を精査するに、本件各犯行の動機、態様、罪質、犯行後の情況、特に本件逋脱税額は非常に高額であること、本件各犯行は計画的であり、三年間連続して犯行を重ねて来たものであること等に徴すると、被告人にはこれまで前科もなく、本件逋脱税額等を完納したこと、被告人の経歴その他被告人に有利な情状を斟酌しても、原判決の量刑(懲役八月、但し二年間執行猶予)が重すぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本間末吉 裁判官 原田修 裁判官 栄枝清一郎)

控訴趣意書

被告人 林宗和

右の者に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は次のとおりである。

昭和四八年一月三一日

右被告人弁護人 坂速雄

同 曾我乙彦

大阪高等裁判所第五刑事部 御中

◎ 原判決の量刑は不当である。

原判決は被告人に懲役刑を言い渡したが、本件事案の罪質、諸井の情状に照らすと、被告人を罰金刑でなく懲役刑に処した点で、量刑著しく苛酷に過ぎ、不当であるから到底破棄を免れないと思料する。以下その具体的な理由を述べる。

第一、逋脱税額の多寡について

一、本件の逋脱税額は、昭和四三年から四五年度の三事業年度を通じ合計金五千二百五十二万千百円である。

二、しかしながら、右逋脱額は全国的にみても高くはなくむしろ、これより多額の事例が多く存し、逋脱額の多寡という基準からするなら本件にあつて当然に罰金刑をもつて処断されるべきであると思料する。

三、また、逋脱額が五千二百余万円になつたのは被告人が本来、すべて会社の経費として所得から控除されるべき費用支出を防ぎ、自ら多種多様の労力を惜しまず頻注し本当に質素に切り詰めて企業活動を行つた結果、所得額が増えたからである。この経費の割合を同種、同規模の法人と比較しても会社はこれが極端に少ないのである。これはとりもなおさず、被告人が合法的に租税を回避できる交際費、広告宣伝費、寄付金、給与等の経費の節減に努めたからに他ならないのである。

しかも、被告人林は努力して蓄積した金銭を一銭も無駄に使用せず、貯蓄しているのである。そのような勤勉かつ質素に努力を続けた被告人が税法上懲役刑をもつて処罰されるべき程悪性があるといえるのだろうか、大いに疑問である。

四、要するに逋脱額は決して高いものではないのであるから、この点は被告人を懲役刑によつて処罰すべき根拠にはなりえないと思料する。

第二、逋脱方法の単純さについて

一、被告人は会社の最高責任者として本件逋脱行為を遂行したのであるが、その手段というのは、通常の逋脱犯と同様に売上金の一部除外及び架空仕入の方法によつている。

二、しかしながら、一般の逋脱犯と根本的かつ大きく相違する点は、除外した売上についてその相手方と協議するとか通謀するとかの悪質な手段を採らず、また架空仕入を計上するについても、仕入先と打ち合わせるとか、共謀するとかして、虚偽の証憑書類を作成する等の周到かつ巧妙に仕組むような手段を一切弄せず、仕入先の所在を調査すれば簡単に露見するという誠に幼稚にして拙劣なる方法によつている点である。

三、したがつて、本件を犯罪行為の手段の面からみれば、意図的であつても悪質というようなものではなく、犯情は大変に軽いものと評価しなければならないと思料する。

四、結局、租税犯罪は、社会のまつただ中にいる通常の市民によつて行われるものであるから、特に手段、手口において高度の違法性のあるもの、すなわち、社会的常軌を逸脱した悪質なものに対する制裁でなければならないからである。したがつて、このような観点からすると、原判決の懲役刑による処断は重きに過ぎるものと言わなければならない。

第三、本件逋脱の動機について

一、被告人が逋脱を企てた主たる目的は、会社の資本蓄積を図り、その競争力を強化することにあつたのである。果して、被告人の右のような動機がそれほど厳しく非難されるべきか、大いに問題である。

二、この動機の評価について、特に指摘したいのは余りにも惨な中小企業の実態についてである。

すなわち大企業であれば、税制上特別有利に取扱われるだけでなく、経済上も不況に際し、政財界等の厚い庇護の下にこれに対処しうる現状であるのに反し、中小企業にあつては、一旦不況に見舞われても、そのような保護は全くなく、逆に銀行等取引先からみはなされるのである。

三、結局、中小企業における経営者は自らの個人資産を会社に注ぎ込むことによつてのみ、この危機に対処しうるのであるから、このような不況、あるいは先行不安に対する自衛のために、会社等の資本蓄積をはかることは無理からぬ実情であると言わなければならない。

四、このことは、戦後、昭和二六年ごろまで、国家の財源確保を優先させるために大法人の特別優遇措置も少なかつたので、大昭和製紙、大洋漁業、大同毛織、横浜ゴム、三菱化成等の大企業も逋脱罪で刑事訴追を受けたが、その後資本の蓄積をはかり、大企業中心に種々の優遇措置を税制が採り入れるようになつて、大企業の逋脱犯が全くなくなつている事実に注目するとき、尚一層中小企業の著しく劣悪な立場が了解しうると思料する。

五、さすれば、そのような地位にある会社のために、被告人が逋脱行為を遂行したことが、それほど常軌を逸脱した悪質な行為であるとして、懲役刑による制裁を科すべきものとは到底考えられないのである。

罰金刑で処断すべき事案であると思料する。

第四、被告人の経歴、家族状況について

一、被告人は若くして今次大戦のため外地に赴き、昭和二一年二月香港から復員し、翌二二年四月二三才の身をもつて郷里吉野町において製材業を営み、昭和四〇年七月森田庄之助らとはかつて、大阪に出て丸紅建設株式会社を設立し、宅地造成、建物分譲、木材販売業務に昼夜をわかたず没頭してきたものである。

二、しかして、被告人は郷里吉野町に居住し、そこでは町の素封家として相当名前も知られ、昭和三五年頃から公職として町会議員一期四年、ついで教育委員一期四年つとめているのである。家庭には、妻と短大一年の長女、高校一年の長男、中学一年の三女の三人の子供があつて家庭的にも恵まれている。

三、ところが被告人は本件逋脱による国税局の査察を受け新聞、テレビ、ラジオ等によつて大々的にかつ全国的に報道され、そのため居住地における公私に亘る多方面でこれまで礎いた金銭であがないえない種々の信用実績をすべて失い、家族の者にも甚大な精神的な衝撃を与え、正に世間に顔向けできない状態になつたのである。

四、更に、被告人の場合には大企業のごとく所謂企業と経営が分離していないので会社と個人は実質的には全く同一人格ともいえるのであるから、会社に対する金一、二〇〇万円の罰金刑の処罰の他、被告人に対する処罰は実質的に二重処罰という結果にもなるのである。

五、また、宅地建物取引業法第六条三号、第五条三号、七号によれば、被告人が懲役刑に処せられると、被告人が代表取締役である丸紅建設株式会社の免許が必然的に取り消されることになつて、その結果、会社はその営業目的の大半を遂行できなくなり、会社の清算というべき誠にもつて悲惨な事態を招来するのである。これもやむをぬ制裁と受け取るには余りにも重大な事柄である。

企業経営者にとつて、これを解体すること程苦痛はないのである。

しかも、被告人はすべての中小企業と同様、多額の個人資産を会社の債務のため取引先に担保提供している丈でなく、連帯保証責任をも負担しているので、会社が解散せざるをえなくなると当然その責任を一人個人が負わなければならなくなるのである。(弁護人原審提出の証拠ご参照)

六、前科も前歴もなく、これまで堅実かつ勤勉に五〇年を過して来た被告人は勿論、その善良なる家庭まで骨身に徹する社会的制裁を受けて、痛根この上なく後悔している本件にあつて、罰金刑でなく、懲役刑で処断することが適正な刑罰権の行使といえるか疑問である。すなわち特別予防面及び一般予防面よりするも十分その目的は達しているのであるから、この上懲役刑に処するのは余りにも苛酷な量刑であるといわなければならない。

第五、逋脱税額等の完納について

一、本件では国税局の査察員によつて詳細な調査の上脱漏所得が完全に摘発把握され、その結果、本税、重加算税、延滞税、これにもとづく府市民税事業税等総額金一億一千二百二十四万円が全部完納されたのである。

二、この完納ということは、法人税一五九条の保護法益が国家の租税債権、課税権である関係からみれば、被害は完全に回復されたといわなければならない。しかも、これと併せて重加算税という行政罰を受け、これをも履行している事実も特に強調したい。

三、結局、被告人が会社資本充実のため、あるいは不況に備えるため、濫費することなく、質素にこれを貯蓄していたなればこそ、一億千万円もの税金を完納しえたものである。

これを単純に法律上当然に履行すべき義務を果したものに過ぎないと評価すべきではなく、本来正規に申告納税する場合に比して著しく不利益な処分を受けて、更に少なくとも国家の被害は完全に回復されているという面、これに対する被告人の日頃の勤勉な性格等をも併せて考慮すべきであると思料する。このことは濫費して納付しえない場合の情状と比較すると大きく、かつ、特に被告人に有利に斟酌すべき事情であること明らかである。

四、そうすると、被告人に罰金刑でなく懲役刑による処断をした原判決の量刑は著しく苛酷であるといわなければならない。

第六、刑の均衡を失し不当である。

一、本件より逋脱額においてその二倍強の金一億二千九百五十余万円、その手段においては相手方と通謀して協力させて逋脱したという事案において大阪地方裁判所第三六刑事部は昭和四六年六月二五日検察官の一年六月の求刑にかかわらず、被告人を罰金三六〇万円に処し、これに対する検察官の控訴にも御庁第二刑事部は昭和四七年三月三〇日控訴を棄却している(原審記録中弁護人提出判決写ご参照)。

二、更に、横浜地方裁判所においては昭和四〇年四月二四日被告人松浦企業株式会社および松浦信太郎に対する逋脱額金六千七百三十余万円の事案について、行為者に罰金一六五万円を宣告している。

三、また、東京地方裁判所は、昭和四〇年一二月二七日被告人東亜株式会社および高山光洋に対する逋脱額金六千五百十余万円の事案につき、検察官の懲役六月の求刑に対し罰金一八〇万円で処断し、次いで同四一年四月二一日には被告人株式会社古賀鋼材商店および被告人樋口基に対する逋脱額金一億六千五百二十余万円の事案につき、検察官の懲役八月の求刑に対し罰金三百万円でそれぞれ処断している。

四、成る程、本件事案より逋脱額の低い事案についても懲役刑を選択している事例は存するが、本件のごとき逋脱の規模、手段方法、意図、逋脱額の完納、被告人の各種事情等を総合し、前記四件の判決例に比してこれを考察すれば、本件被告人に対し懲役刑を処したのは、同種事件の刑との均衡を著しく失し、その不当であること極めて明白であると思料する。

第七、懲役刑選択の不当性について。

一、一般に逋脱犯を刑罰による制裁を科する理由として、法定の租税収入を確保し、租税負担の公正、平等を担保し、租税道義を強化するという目的を達成するためには―行政罰、加算税では経済的制裁としてだけで―十分でないからだと言われている。

二、しかし、刑罰は、反論的悪性を処罰するためのものである以上、責任主義に立脚しなければならないところ、法人税法の処罰規定は、単に行政目的を達成するための取締威嚇手段として刑罰を利用するというのである。これでは、特に自由刑を基礎づけるだけの反論理性がない行為に自由刑を科することになり、罪刑の適正な要請に反し、責任主義を無視するものと考える。

三、更に、指摘したいのは、税法の処罰規定に自由刑が採り入れられたのは、昭和二二年改正の時であつて、それ以前はもともと財産刑主義であり、定額主義で処罰されていて、かつそれで十分目的を達成していたのである。しかるに、今次大戦による国富の致逸、国民の財産の消失等の結果、国家財政の危機を守るために罰則を強化する方向が採り入れられて今日に至つているのである。

その意味では、戦後の国民総貧困状態にあつたときの国家のなり振りかまわぬ財源確保の姿勢が強烈に浮び上がるのである。しかしながら、その後の経済復興の早さと大きさは世界の注目を集め、現在においては経済的基礎は完全に回復充実し、経済大国といわれるに至つており、現在では、国家の財政的基礎は強固なものとなつたので法改正時とその事情が著しく変化しているのである。

四、また、国家が逋脱犯に対して厳罰を科するためには、一方において国民(法人を含む)すべての負担能力に応じた公平かつ公正なる課税が現実に賦課されている事実を前提とするものでなければならない。ところが、現実には、税制の面でも運用の面で実現されていないのである。この点特に大企業のみが享受できる特別措置(1二段階比例税率による法人税構造は、中小法人に逆進的に作用する点、2特別措置法の適用は大法人に偏在し、大法人の実効税率を低くする点)により、大企業は立法過程において租税回避を合法的に実現できる事実、大企業のみが特典を受ける特別措置をみとめる法人税法によつて大企業のみが競争力を強化し、独占的地位をしめうる。つまり、現行法人税法自体が大企業の競争力と独占的地位とを決定する租税負担の配分関係を作り出しているのである。

五、このような不公平な法人税法が施行されていることが給与所得者のみならず、小法人経営者にとつても誠に不公平な税制であるとの感を与え、激しい自由競争に打ち勝つためには、脱税もやむをえぬとの思想を作り出している事実を特に指摘したい。

これを正すには、刑罰、行政罰をもつてするより何によりも国民各自が納付する租税が適正に使われているということと、租税負担が公平に配分されており、国民各自が不公正に取り扱われていないという納税者の納得が必要である。しかるに実情は前述のようなものであり、租税負担が一般大衆化し、日常の社会経済生活上切りはなしえなくなつている今日において、国民の租税負担の公平、公正に対する税制上の保障を与えることなく逋脱犯を厳罰、特に自由刑に処することは正義感情に反するといえるのではなかろうか。

六、これに加え、本来租税犯罪は、資本主義的経済人が企業活動の経済活動を通じて利益計算のもとに行う行為であつて、また、それによつて詐欺、窃盗等のような個人的利益を侵害することもないのである。

しかも、租税は私法的債務と異り、国家によつて強権的、一方的に課せられる反対給付の伴わない非人格的債務であるからこれをできる丈け免れようとするのは資本主義社会の国民の姿である。つまり、租税負担の免脱は一般的な現象であり、免脱行為は詐欺、横領等の私法的債務の侵害と異つて反倫理性を有するものではないのである。したがつて、実質的違法性は著しく低いのである。

七、このような実情と背景に立つて刑事制裁を受ける逋脱犯に対し、財産刑でなく自由刑すなわち、懲役刑を科するのが果して適正なる刑罰権の行使といえるか大いに疑問である。むしろ、脱税犯のような利欲的犯罪を防止するのには財産刑・罰金がもつとも合理的であると考える。罰金も反倫理的罪悪性を処罰するためのものであり、犯罪的要素を有するものであるが、この種の利欲的特殊性に応じて犯人に不法な利益を保持させないという機能も果しうるのであり、租税負担の配分の公正・平等を担保しつつ適正な租税収入の確保を図るための同目的政策的考慮にもとづいた特別措置としても十分効果があるのではないかと思料する。すなわち、自由刑による処罰は、それでなければ有効でないという場合にのみ行使すべきであり、他にこれを抑止する手段があるときにはこれによるべきこと刑罰の本質から当然であると思料する。

以上述べたところより明らかなように、被告人に対し懲役刑を選択した原判決は量刑著しく重きに失し、不当であるから原判決を破棄のうえ、適正なる裁判を求める。

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